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世の中ケセラセラ 何とかなるさ
会社で上司のいじめにあい、自殺経験2回、もうどうでもいいや、やけくそブログです。
余談です。4,母の屈辱 その16、貧しくても幸せだった。 3.母の屈辱、その16 保険金(慰謝料)で家たてちゃいました。 2.母の屈辱、その15 お袋、仕事にでます。1.母の屈辱 その14 親父、死んじゃいました。
余談です。
4,母の屈辱 その16、貧しくても幸せだった俺。
私の子供の頃の話を家内に話しますと、同じ世代と思えないと言われます。今思えば、一番上の姉 良実姉ちゃんがお父さん役、由紀子姉ちゃんがお母さん役だったような気がします。私が泣くと、由紀子姉ちゃんが駆けつけてくれました。私、子供頃、野球のグローブを上級生に獲られたことがありました。良実姉ちゃんがその上級生の家に行き取り返してくれたこともありました。とにかく一人では無かったことは事実です。貧乏でも幸せだったきがします。

3.母の屈辱、その16 保険金(慰謝料)で家たてちゃいました。
私中学1年生、良美姉ちゃん21歳、由紀子姉ちゃん18歳になりました。由紀子姉ちゃんも高校を卒業して、紡績会社に就職です。我が家の扶養家族は私だけになりました。タニシを食べていた頃に比べるとかなり裕福になりました。でも内職は続けています。内職タイムです。自分の席に座り、指先を動かします。お袋は言います。「みんな大きくなったから、八畳二間は狭いわね、小さな家ならお父さんの保険金で建てられるわね、たてましょうか。」と言う訳で、最もランクの低い3LDKの小さな家を立てることになりました。おやじの最後の大きな贈り物です。
 話は変わりますが、おやじ、周りから借金をしていたらしく。亡くなって数か月の間、お金を貸していたと言う人が数人いました。親父の友人達です。生前お世話になったことにお礼を言い、借りたお金を返します。叉、我が家に残った最後の農地750坪、この農地を譲ってもらう約束をしたと言う人も出てきました。それは丁重にお断りしました。不謹慎ですが、おやじ、63歳で亡くなりました。もし生きていたなら、そんなに長く働けません。多分、750坪の農地も売られ、残ったのは借金と介護だけです。考えると恐ろしい話です。

2.母の屈辱 その15 お袋、仕事に出る。
父の四十九日も終わり、我が家もいつもの我が家に戻ります。あまり父の話はしません。思いで話をすると悪口になってしまうからです。しかし、親父は最後に自分の命の代償に沢山のお金を私達に残しました。
 いつもように、内職タイムです。みんなテーブルに着きます。母「母さん、今日は以前に勤めていたロープ会社にまたお世話になることにしたわ、9時から3時までよ」良実姉ちゃん「肝臓が悪いんだから、無理はダメよ、お父さんが残してくれたお金があるからしばらくやっていけるわ」


1.母の屈辱 その14 親父、死んじゃいました。
日は流れます。私が小学校6年生、由紀子姉ちゃんは高校3年生、良実姉ちゃんは二十歳です。私、いつものように元気良く遊びます。家に帰ると姉達が待っています。良実姉ちゃんが言います。「お父さんが車にはねられたのよ、今から病院に行くの、お母さんは先に行ったわ、」 私「お姉ちゃん、嘘やろ、」 姉「私、一度、病院に行って、着かえを取りにきたの、今日、私が病院に泊まるわ、お母さんは身体が弱いから無理よ」と言って、親父がしていた壊れてしまった時計を出します。そして、3日後の夜、隣りのおばさんの声、「電話よ」(私の家には電話がありませんから、どうしても必要な場合はお隣に電話するのです。) 姉からです。「お父さん、死にそうよ、すぐにくるのよ、」 母、由紀子姉ちゃん、私、3人急いで病院に向かいます。 病院に着くと、親父、すでに、息をしていません。死んでしまった親父、お袋、泣いています。私達、姉弟3人、それ程、悲しくないのです。不思議です。親父、死んで帰宅です。タンカに乗せられたまま、バンの後ろに乗せられます。家の近くで車は止まります。姉「隣りのおじさん、呼んできて、運ぶの手伝ってもらって」私、隣のおじさんをよんできます。そして、おじさんと運転手さんで親父を家に運びます。
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コメント
コメント
はじめまして(^-^)
小学校6年生のときにお父さんが亡くなってしまったのですね。
ご苦労されましたね。
今の幸せは、すべてのお陰ですね。
私の父は、68歳で亡くなりました。
最期に親孝行できてよかったと思っています。
2013/07/05(金) 06:31:19 | URL | 春 #- [ 編集 ]
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